想像力
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前日、奥松島まで移動してきて、縄文村という施設の駐車場で車中泊。
明け方目を覚ましたらオリオン座がきれいだったので撮影してみた。
EOS Kiss X2
F5.6標準レンズ
開放 30秒露出
Picasa上でコントラスト調整
奥松島・大浜
こんな綺麗な浜辺だが、背後にある民宿は津波でヒドイことになっている。
仙石線野蒜駅
津波は手前から駅に向かって行った。
ガードレールひん曲がり
駅舎は津波で激しく壊れ、線路も土砂に埋まったまま。仙石線もこの辺りの区間はまだ復旧しておらず代行バスが走っている。駅前のバス停が真新しい。
朝飯がまだだったのでラーメンでも茹でて食べようと考えてたら、お掃除に来てたおかあさんに
『うちに来れば?お茶くらいごちそうしてあげる。おいでおいで』
と誘われノコノコと着いていった。
このおかあさん、JRに雇われて掃除してるのかと思ったら違ってた。1km半も先から自転車に乗って、津波で破壊された駅舎の掃除に来ていたのだ。そうボランティア。
『今は電車は動いてないけどね、代行バスを利用する人、けっこういるんよ』
おかあさんちでお茶どころか豪華朝ご飯をごちそうになる(食べてないの、バレてたか)。
居間の天井近くに痕が残っている。そう、おうちの1階は津波の被害に遭っていた。
今はリフォームして普通に暮らせるようになっているが、避難所や娘さんの家などあちこち何ヶ所も移動したそうだ。
海岸から1km以上ある、津波なんて来るはずのない場所だと言っていた。
泊まりに来てたお孫さん(こうすけ君とゆりちゃん)は、うちの3号4号と同い年。学校の話・友達の話をいっぱいしてくれた。
松島を観光し、お土産を買って、帰路についた。
ちなみに景勝地「松島」ではお土産屋・遊覧船などは通常っぽく営業していた。
「島々」のおかげで津波の勢いが和らぎ(?)被害が比較的少なかったのだ、とも聞いた。
以上//
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こんな美しいビーチが7つ、だから七ヶ浜。
東京からのボランティア・バスツアーさん。
到着してさっそく記念撮影
※批判してるわけじゃありません。ただ昨日の今日で、落差が激しすぎて・・・
ここがかの有名な七ヶ浜VC
室内ゲートボール場に設営されている。
貸し出し用ゴム引き手袋、長靴。
何でも揃ってます。
ホント手ぶらで気軽にボラに来て大丈夫。
資材も充実。
飲み物、塩分補給飴とかも供給される。カップ麺もあったな。
ここには長渕が来たらしい。
でも、牡鹿に行ったデーモン閣下の方が何倍もかっこいい
朝のミーティング。
ボラ全員を屋内に集め、座ってミーティングなんて贅沢の極み。
スタッフもMC慣れしている。団体さんを1つずつ紹介、全員で拍手!
本日のボラは全部で250人。さすが超メジャーVC七ヶ浜。
うち、個人参加は17人のみ。
マッチングは団体さんはあらかじめ決められており、個人ボラもまとめて1ヶ所に割り当てられた。
どれも同じでしょって感じで=個人宅の敷地のがれき除去。
作業のイメージ⇒
大人数(40人以上)での軽作業。瓦礫なんてほとんど残ってない
天気もよくぽかぽかした雰囲気で、和気あいあい。
ボランティアってなんだろうな・・・
土建組合の人達(=文字通りプロ)も沢山いたのに何だかもったいない。
昨日この人達が牡鹿にいてくれたら・・・と思わずにいられなかった。
隣の多賀城市のスーパー銭湯。550円。
もう一日ボラする予定だったが、気が抜けてしまった。
少し観光して、明日帰ることにしよう。
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石巻市牡鹿町のボランティアセンターは牡鹿公民館の2階に設営されている。
公民館1階は津波にやられている。
1階の壁に、メッセージが書かれていた。
距離じゃないね 行こうという気持ちの強さだね
あなたの勇気にありがとう
さらに近寄って見ると、
デーモン小暮閣下だ!
閣下、すでに5/21に、こんな僻地を訪問しているとは。
流石です。
(ググるとこんなニュースが)
公民館2階のボラセン・・・ 電気がないので真っ暗。
ここのリーダーは
こんな顔のカッコいい人なんだが、ちょっと話しかけにくい。
ボラセンというより土木事務所、でなきゃ飯場。
スタッフは4人くらい、ボランティアも10人足らず。
でもみんなプロフェッショナルって感じ。
確かに覚悟がない人はここでやっていけない。
公民館裏の被災したお宅。
鮎川浜はまだ十分片付けも終わってない感じ
高台で津波の被害は免れたおうちも、台風15号で山が崩れて土砂で埋まり、踏んだり蹴ったりだそうな。
電気もまだだし店舗もない。移動販売車が3日に1度来るだけらしい。
本日の作業場、鮫浦(さめのうら)漁港。
側溝の泥上げ・瓦礫撤去。カッパを着ての作業。
雨の中、黙々と土木作業するハードボイルドな人たち。
お昼休みも黙ってひたすら体力の回復を図る。
とにかく全員、口数が少ない。しゃべらない。
作業が辛いのか、嫌々なのか、それとも性格か、
たぶん、その、どれでもない。
でも、1つのチームだった。
20mくらい掘り出した。
みんな、すごいパワーを出してました。
おつかれさま。
ここで2日間作業するつもりだったがあまりにハードだったため、最終日は七ヶ浜に行くことに。
ごめんなさい
帰り際に作業したみんなでお風呂に行きました。
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南三陸町のVCは、壊滅的被害を受けた市街地から少し離れた、アリーナの駐車場に設営されている。
施設は立派で広く、ボラ用テントサイトもアリーナ周辺に確保されている。
アリーナにはシャワー室があり、一応ボラの使用も認められているようだった。10時まで開いてるのでPCを充電させてもらったり、無線LANも使えてうれしかった。
ずっとおにぎりかパンで、急にあったかいものが食べたくなってラーメンを茹でた。
朝からインスタントラーメン食べんわな・・・普通
南三陸VCは大人数のバスツアーボランティアを毎日さばいているだけあっててきぱきとことは進む。
この日もたくさんのバスが到着しては、現場に回っていった。
しかし、これで「ボランティア激減で困っています」とは。
今回は問答無用で「林漁港ね」と決められたのだ。
現場に着いて初めて作業内容は聞かされた。砂利の袋詰め作業。
シャベルですくって土嚢袋に詰め、いっぱいになったらロープで縛る。
一日、ひたすらこれをやる。
養殖いかだのアンカーに使うということだった。
できた土嚢袋は漁師さんがフォークリフトで集める。
3万個作るということらしい
暑い日だった。水2リットル持って来たが全部飲んだ。
夕方、石巻牡鹿VCがヘルプしているのをTwitterで見る。
南三陸は、俺がいなくても大丈夫だろう(てか、体力的に。明日も砂利詰め作業なんて、無理)
ということで、暗くなってから牡鹿へ行くことに決め。
雨ザーザーの中、国道をはずれて県道2号で牡鹿半島の先へ。
台風15号で痛めつけられた県道は、真っ暗でうねっていて、クルマもまったくすれ違わず、突然被災家屋とかがヘッドライトの中に浮かび上がりかなり怖かった。
到着した鮎川浜は電気も無く真っ暗。大変な所に来てしまったと思った。
(つづく)
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割り当てられた作業は「EM散布」
塩害を受けた川岸の桜の木の養生が目的。
まずはよく分からない液体を根元にかける。
次によく分からない液体によく分からない粉を溶かしてモルタル状になったものを幹に塗りたくる。
理論はよく分からないが、木が元気なるということらしい。
興味のある方は、EM(Effective Microorganisms)で調べてみてください。
一緒に作業したVCから派遣された4人。
Vサインの女性は地元の人。お昼休憩に話を聞いた・・・
3/11は南気仙沼駅近くの勤めていた会社にいたそうだ。
潮が引いた・津波が来る!帰りなさいと言われ、会社からクルマで逃げた・・でも道路は渋滞で動かない。
財布も携帯も置いたまま、クルマ捨てて逃げた。
『普段ならぜったいクルマ手放すなんてあり得ないんだけど』
別のクルマに乗っていた友達(写真、一番左)にも声をかけて一緒に逃げた。
誘ったけどクルマに残った同僚の方は亡くなった(行方不明)とのこと。
会社は津波に流され、彼女らは2人とも解雇された。
ハロワに通いながら、ボランティアをしているそうだ。
夕方、南三陸町へ移動。
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夜になって南三陸VCのWebを見ると、「ボランティア激減で困っている」と掲示されている。
updateは10/3(今日)の午後3時。
もう1日2日ここにいるつもりだったがそういうことならと、翌日は南三陸へ向かうことに決めた。
疲れて早めに爆睡に入ったが猛烈に寒くて目が覚めたのが24時頃。
外に出ると満天の星空。ありったけ着込んで、カメラと三脚と、初めて使うレリーズを準備。
住田基地の校庭から見た天の川
白鳥座は半分沈んでおり、尻尾の付近から上に向かって天の川が伸びている
EOS Kiss X2;
F5.6標準レンズ
開放 80秒
Picasa上でコントラスト調整
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8時ころ到着。
陸前高田は市街地が壊滅状態なので、VCは海岸から10kmほど入った山側の空き地に設営されています。
ホワイトボードには作業する際の注意書きが。
とにかく怪我をしないようにと。ボランティアに来て怪我されると“迷惑”です。
ぞくぞくとバスが到着します。
夜行便なので乗っているみなさん眠そうですw
8:20 ミーティング開始
この日は九州からバスで23時間かけて来たという団体さんがいました。凄すぎる。
あとは新潟の女子大、東京のどこかの市役所から、などなど。
個人で参加している人は少ない印象
ミーティングが終わるとマッチングです。
今日は誰がどこへ行ってどんな作業をするか、を決めます。
団体さんはあらかじめ決めてあるみたいです。
依頼票が読み上げられるので、行きたい作業に挙手をするという、初めてのボラにも分かりやすい親切なプロセス。
まずは様子見で、個人宅の草刈りとがれき除去という作業を選択しました。
震災後半年経っているので、陸前高田はけっこう片付けは進行しているように見えました。
その代わりに、信じられないくらい大きな瓦礫の山があちこちに出来ていました。
目の前のこの街の光景が、網膜に結像したイメージが脳ミソでうまく処理できない、そんな感じでした。
これらから、何をどう感じ取ればよいのか、、、反応できない。
あてもなく、何かを探すでもなく、あちこち彷徨っていました。
町はずれ気仙川の西側を北上していったところの高台に、被災を免れたお寺(泉増寺)がありました。
ちょっと寄ってみようとクルマを降りると、岡崎市ナンバーを付けたカブがぽつんと停まっており、少し離れた所に父くらいの年齢のお年寄りが座っていました。愛知県人に出会えた安心感から、私は声を掛けました。
「おとうさん*1、岡崎からコレ(原付)で走って来られたんですか?」
『ん?・・・ あぁ、それは、』
少し間があって、私が何を問うたのか理解したおとうさんはこう答えました。
『支援物資として。もらったんだ』
そうか、ナンバーは発送元の自治体のものなんだ。
なんて馬鹿だ。考えてみたら愛知県からここまで900km以上ある。原付で走って来るなんて物好きは世の中にそう沢山いない。
*1:地元の方に呼びかけるとき、年齢関係なくおとうさん/おかあさんと呼ぶようになってしまった
「こんにちは。えっと、昨日、神奈川県から来たんです。お寺が見えたので」
今思えば、よそ者だということはわざわざ言う必要も無かったのだが。
それをきっかけにいろいろとお話をしてくれた。
『上の寺はな、伊達なんとか公のご夫人が子を産むときに云々・・・、』
詳細は忘れたが、要は子宝に恵まれるということのようだ。
ちなみにおとうさんがすわっていた場所は「御神体」の真ん前。御神体は女の子のアレそっくりの●●●で、ご開帳は本来33年に1度らしいので写真は撮ったけどここに載せることは控えます。
「津波はここまで来たんですね」
ごめんなさい馬鹿な質問で。来たなんてもんじゃない!って言いたいのを堪えて答えてくださった:
『あの橋からこっちにずっと、500戸の家があったんだが。1戸を除いてすべて流された。』
『息子は消防隊員だったが。亡くなった。』
遠い目をしていた。今思い出しても泣けてくる。
「おとうさんはあの日は、どこにいたんですか?」
ごめんなさい無神経な質問を。でも何か質問せずにおられなかった。
『あの大木*2のある、裏山*3にいた。津波が来て山へ登って逃げたんだ』
*2:樹齢800年の「天神の大杉」; *3:気仙成田山
「地震が来てすぐに津波が来ると判断して逃げたんですか?」
『あぁ。ここいらは津波が何度も来ている。チリ沖地震以来、防災体制はちゃんとされていて、避難訓練もちゃんとやっていたんだ。だけどそれが仇になった。』
「え? アダになった?」
思わず聞き返した
『チリ沖地震がベースで避難場所を決めていたからな、高さが足りなかった。想定以上の高さの津波が来たのでたくさんの人が亡くなった。報道で10mとか12mとか言ってるけど、そんなもんじゃなかった。』
もういっぱいいっぱいだった。あとは何を話したかよく覚えていない
ここからあとは、帰宅してから調べたこと。
私が偶然みかけてお話をした方は佐藤直志さんと言って、Webにあちこち登場しているちょっとした有名人のようだ。いろいろ陸前高田のことを調べていたところ偶然遭遇。
5月に花見を計画したり、地域の絆を断ち切りたくないからと仮設住宅には移らず被災した自宅で生活しているそうだ。
巡り合わせとは不思議なものだ。佐藤さんは77歳で父と同い年。亡くなった息子さんは47歳、私と同い年。おまけに佐藤さんが乗ってたカブが付けてたナンバー「岡崎市」は父の生まれ故郷なのだ。
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今日は住田基地に泊まる予定。600km先だ。
東北道をひた走る。
気は焦るがサンバーはスピード出ない。
100km/hで6500rpm。4気筒SOHCはかなり苦しそう。
これ以上かわいそうで回せない。
休憩削って少し時間に余裕が出たので、
一関ICで降りて、気仙沼経由で北上することにする。
夕方、気仙沼の港周辺をうろついた。
右は魚市場のあったあたり
なにか凄まじいことが起きた、ということは分かった。
陸前高田の街を通るころは日も落ちてまっ暗。
なにも見えなかった。
(なにもなかったからだ、ということは翌日分かった)
右は、MAIYAという地元のメジャーなスーパー
仮設店舗での営業。
晩飯と明日の朝、昼の食べ物を調達。
住田町はここからさらに山の方へ登ったところ・・・
真っ暗な山道を30分くらい走った。
こんな山奥にほんとにあるのか・・・っていうくらい
住田基地(右)は、廃校になった小学校を、有志が借りてボランティアのための宿泊施設として無料で開放している。
校舎の中、教室・講堂などで雑魚寝が基本。
でなければ、校庭にテントを張るか車中泊。
風呂と調理場と無線LANがある。
右は、住田基地の掲示板。
ここにあった「利用者ノートから」というメモが目を引いたので掲載します。
ここに集いし人々の崇高なる精神と情熱は、何にも変えられない尊いものである事は誰もが認めるところです。 しかしその熱意にひたる自分に酔わないで下さい。 ボランティアに励む自分に酔わないで下さい。 私達はあたりまえのことをしているだけなのですから。
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勤務先にはボランティア休暇という制度があります。
※使い切れなかった有給休暇を積み立て、特定の目的に使える。ボランティア活動には月5日まで使える。
上期の仕事が片付いたところで、下期が始まると同時に5日間の休暇をもらい、東北へ行ってきました。
■計画
2011.10.2~10.8
いろいろあって一人で(単独行動で)行くことにしました。
個人ベースでボランティアをするには、現地の自治体(社会福祉協議会)が設置する災害ボランティアセンター(以下、VC)に登録するのがほとんど唯一の方法であるようでした。
そこで岩手県釜石市から宮城県多賀城市あたりのVCの情報を、Web/2ちゃんねる/Facebook/Twitter等で収集しました。宮城県の主だったVCの情報は一ヶ所に集約されており便利でした。宮城県下でもここに載っていない地域ももちろんありますし、岩手県は各地域ごとにバラバラでした。ちなみに福島県下の情報は非常に少なく状況は分かりませんでした。
9月の時点で震災から半年以上経過しており、県外からの個人ボランティアを受け入れているVCは少なくなっておりました(団体のみ、若しくは県内個人のみ。ボランティア依頼そのものが減ってきているようでした)。すでに役割を終えたとしてVCを閉めたところもありました。
開いていたVCの募集状況・作業内容をおおよそ調べ、陸前高田VCと七ヶ浜VCを活動場所に選び、ボランティア登録をしました。
■出発前
(続く)
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